12月25日と冬至の関係

12月25日という日をキーワードに西洋の歴史を遡っていくと、 意外なほど古い古い時代にたどり着きます。 どのくらい古いかというと、世界最古の文明とうたわれるメソポタミア文明です。 紀元前3500年前後には都市国家ができていたそうで、特にメソポタミアの南部(現在のイラク)で シュメール人と呼ばれた人々は、現在の暦にも影響を与えている世界初の暦を作ったことでも有名です。 この暦ができたことと、12月25日という日にちには、遠いつながりがあるのです。

ヨーロッパ南部の祭

古代メソポタミアでは、冬至の前後12日間を新年の祭として祝っていました。 この祭を“Zakmuk”といいます。 この季節は、日照時間が短くなり、どんどん寒くなってきますね。 この暗さと寒さの原因は、混沌カオス(ギリシアの言葉ですが、意味は同じなので使います)に住む怪物が 出てくるからだと考えられました。
メソポタミアは多神教で、主神である太陽の神マルドゥクが、この怪物と戦うのが冬至の時期なのです。 メソポタミアの王は、この祭の間に古い年とともに死に、蘇ってマルドゥクと一緒に戦うと考えられました。 王はマルドゥクに忠誠を誓う為、神殿にこもります。その間、偽者の王として罪人に豪華な衣装を着せ、 王のように振舞わせました。もちろん権力も尊敬も、偽の王のものです。 しかし、祭の最後に、偽の王は衣装を剥ぎ取られ、殺されてしまいます。これは、本当の王の代わりに死ぬためです。

同じような祭が古代バビロニアやペルシアでも行われ、“Sacaea”と呼ばれます。 この祭では、主人と召使が立場を入れ替えるということをしていました。 召使(本当は主人)は、主人(本当は召使)のどんな命令にも従わなければならないのです。

サトゥルナリア

時代は下って、古代ローマのお祭です。12月17日から12月25日まで祝われた、サトゥルナリアという祭がありました。 サトゥルナリアは農耕神サトゥルヌス(ギリシアのクロノスにあたる)を祭るものですが、目的は闇を追い払う冬至の祭です。 この祭は、とにかく飲めや歌えの大騒ぎをし、行政も仕事も学校も休みになって、誰もが楽しむものでした。 ここでも、主従が入れ替わるということをしていますが、サトゥルナリアにはクリスマスに繋がる文化も多く見られます。

人々は仮装して通りを練り歩き、豪華な晩餐会を開き、友人の家を訪ねてプレゼント交換をしました。 このプレゼントは“Strenae”“Sigillaria”と呼ばれるもので、こういったプレゼントを買うための市も開かれました。 Strenaeは、常緑樹や月桂樹の枝のことで、幸運を運ぶものとして交換されました。 シギラリアは小さな粘土(焼き物)の人形で、子供たちに贈られます。 自家製の焼き菓子や砂糖菓子も交換され、上流階級では金や銀、宝石などもプレゼントされたようです。 サトゥルナリアは冬至の祭でもありましたから、太陽を生の世界に呼び戻すため、冬の夜中灯される蝋燭も プレゼントする習慣がありました。 ローマの建物は月桂樹や緑の木で作った花輪にろうそくを灯したもので飾られたそうです。






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