サンタクロース

サンタクロースといえば、陽気で優しい太ったおじいさんで、白いひげに赤い服を着て、トナカイのひくソリに乗り、 12月24日の深夜に世界中の良い子たちにプレゼントを配ってまわる存在ですね。 サンタのモデルがセント・ニコラスという聖人だということも、非常に有名なお話ですが、 やっぱりこれにも、遡ってみると違った文化や伝説が交じり合っています。 そして、私たちがよく知っているサンタクロースも、本場だと思っている西洋を覗いてみると、ずいぶんいろんなスタイルの サンタクロースがいるようです。サンタとはまったく別の存在が、プレゼントを配ってくれることも・・・。
そんな、世界のサンタクロースと仲間たちをご紹介していきたいと思います。

サンタクロースのモデルは聖ニコラスか?

サンタクロースという名前は「セント・ニコラス」が訛ったものだ、というお話を聞いたことがあるでしょうか?  オランダ語で、セント・ニコラスのことを「シンター・クラース」(Sinter Klaas)と呼びますが、 これが訛って「サンタクロース」になったと言われています。 聖ニコラスは、4世紀ごろ小アジアのミュラ(現在のトルコ)にいた司教なのですが、 実は詳しいプロフィールが分かっていない人物です。また、同じ頃ニコラスという名の司教がいたようですし、 6世紀ごろにもニコラスという司教がいて、これらの“ニコラス”が混同されてもいるようですので、 本当の聖ニコラスがどんな人だったのかということは、確かめようがありません。 とにかく350年ごろにミュラで亡くなり、そこの大聖堂に埋葬されましたが、 トルコがイスラム圏になり、1087年にイタリアのバーリに聖ニコラスの遺骨が運ばれたそうで、 この頃ヨーロッパ各地に聖ニコラスの伝説が広がっていったようです。

聖ニコラスの伝説で一番有名なお話は、貧しい貴族の三姉妹を助けるために、投げ込んだ金貨が 暖炉に干してあった靴下に入った、というあのお話です。 聖ニコラスは裕福な家庭に生まれたものの、流行り病で両親を亡くし、修道院で育ったといわれています。 あるとき、貧しい貴族の家の前を通りかかると、貧しさのために娘たちを嫁にやる持参金を出すこともできないばかりか、 娘たちを身売りさせなければならないという話を耳にします。 そこで聖ニコラスは、自分がお金を寄付したとはわからないように、金貨を家に投げ込みました。 それが、暖炉に干してあった靴下の中に入ったのですが、これを3日に渡って、長女・次女・三女の靴下に入れ、 3日目に誰が送り主かを確かめようとした父親が、聖ニコラスを見つけたというお話もあります。

これ以外にも、宿屋の主人が三人の子供を殺し、塩漬けにして隠してあったものを、 7年後に宿屋を訪ねた聖ニコラスが見つけ、子供たちを生き返らせたという伝説や、 嵐で沈没しそうになった船の船乗りが、聖ニコラスに祈ると助かった・・・などなど、 様々な奇跡、伝説が、聖ニコラスのものとして広まり、中世では聖人の中で最も人気のある人物になっていました。 そして、聖ニコラスがプレゼントを配る役目をもつ聖人になっていきました。

が、聖ニコラスは司教ですから、おそらく司教の着る長いローブを着て、司教冠をかぶり、 司教杖を持った、スレンダーな人物像がふさわしいと思うのですが、 サンタクロース像は・・・ずいぶん違っていますね。 しかも聖ニコラスは、どう考えてもトナカイと一緒に空を飛びそうもありません。 なぜ、サンタは赤い服を着て、空を飛ぶようになったのでしょう?





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